翔子さんの心というか魂があますところなく
書かれていて、とても感動しました。
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金澤翔子、涙の般若心経 ダウン症の赤ちゃんが天才書家と呼ばれるまでの奇跡の物語 単行本 – 2013/10/16
金澤 泰子
(著)
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NHK大河ドラマ『平清盛』の題字で知られるダウン症の書家・金澤翔子さんの成長物語です。
ダウン症の赤ちゃんとわかって一緒に死のうと苦悩した母親が、いかに絶望から抜け出し、
前を向いて生き始めたか。私たちが困難な日常を生きていく上で、心の支えとなる言葉が
たくさん詰まっています。「祈りの力」を感じさせてくれる一冊です。
【著者について】
金澤翔子の母・久が原書道教室主宰・東京藝術大学評議員
ダウン症の赤ちゃんとわかって一緒に死のうと苦悩した母親が、いかに絶望から抜け出し、
前を向いて生き始めたか。私たちが困難な日常を生きていく上で、心の支えとなる言葉が
たくさん詰まっています。「祈りの力」を感じさせてくれる一冊です。
【著者について】
金澤翔子の母・久が原書道教室主宰・東京藝術大学評議員
- 本の長さ192ページ
- 言語日本語
- 出版社世界文化社
- 発売日2013/10/16
- ISBN-104418135111
- ISBN-13978-4418135110
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登録情報
- 出版社 : 世界文化社 (2013/10/16)
- 発売日 : 2013/10/16
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 192ページ
- ISBN-10 : 4418135111
- ISBN-13 : 978-4418135110
- Amazon 売れ筋ランキング: - 503,239位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 71,601位ノンフィクション (本)
- カスタマーレビュー:
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2018年4月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
トップばかりスポットライトが当たる世の中ですが、ビリを引き受けるのはとても勇気がいることです。いつも場を和やかにし、人気者だった翔子さんは、まぎれもないトップです。
2016年8月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
初めて取寄せさせていただきました。良品でした。思ったより早く届きました。また利用させていただきたいと思いました
2015年5月13日に日本でレビュー済み
泰子さんという女性の心の成長物語。
地方の名家出身の泰子さんは、美人で、知的で、事業にも成功し、知り合ったご主人もリッチでイケメンで人格者で。。。と現代日本の中でもとりわけ恵まれた「プラス」の人生を送ってこられた。
そんな泰子さん、42歳でダウン症児を出産という、苛酷な十字架を背負い込む。泰子さんの自意識は「マイナス」の重みに苛まれ、自殺まで考える。
それでも泰子さんは42歳からの20年あまり、自らの心の闇と格闘する子育てを経て、とうとう「プラスはマイナス、マイナスはプラス。不幸は幸福、幸福は不幸。そこに何の違いはない」という逆説の真理を悟ることになるのである。自我が強かった泰子さんは次第に利他的になり、「ダウン症児を持つ親を励ます」という自らの使命=天職を悟り、それに邁進するようになる。
また泰子さんは娘の姿を通じて、「損得勘定にとらわれない心が夢の実現につながる」、「過去や未来に縛られず現在に生きることが大切」、「無心で他人の幸福を願う」、「見えないものを見ることの重要性」といった様々な学びを得ていく。「負うた子に教えられ」。成長するのは翔子さんよりむしろ、泰子さんの心。そして泰子さんの心の成長とともに、翔子さんは当初の予想を超えて大きく世間に受け入れられ、泰子さんが望んだ「社会的成功」を得て行くのだ。まるで翔子さんは泰子さんの心の成長のために天から遣わされた触媒のようである。
写真で拝見する初老の泰子さんは「60代をこんな風に迎えたい」と思える優しく美しい女性。般若心経の下りはエピソード的で、どこにも仏教めいた教訓は登場しないのだが、本書のエピソード全体が大乗仏教の教えとオーバーラップしていると思った。
地方の名家出身の泰子さんは、美人で、知的で、事業にも成功し、知り合ったご主人もリッチでイケメンで人格者で。。。と現代日本の中でもとりわけ恵まれた「プラス」の人生を送ってこられた。
そんな泰子さん、42歳でダウン症児を出産という、苛酷な十字架を背負い込む。泰子さんの自意識は「マイナス」の重みに苛まれ、自殺まで考える。
それでも泰子さんは42歳からの20年あまり、自らの心の闇と格闘する子育てを経て、とうとう「プラスはマイナス、マイナスはプラス。不幸は幸福、幸福は不幸。そこに何の違いはない」という逆説の真理を悟ることになるのである。自我が強かった泰子さんは次第に利他的になり、「ダウン症児を持つ親を励ます」という自らの使命=天職を悟り、それに邁進するようになる。
また泰子さんは娘の姿を通じて、「損得勘定にとらわれない心が夢の実現につながる」、「過去や未来に縛られず現在に生きることが大切」、「無心で他人の幸福を願う」、「見えないものを見ることの重要性」といった様々な学びを得ていく。「負うた子に教えられ」。成長するのは翔子さんよりむしろ、泰子さんの心。そして泰子さんの心の成長とともに、翔子さんは当初の予想を超えて大きく世間に受け入れられ、泰子さんが望んだ「社会的成功」を得て行くのだ。まるで翔子さんは泰子さんの心の成長のために天から遣わされた触媒のようである。
写真で拝見する初老の泰子さんは「60代をこんな風に迎えたい」と思える優しく美しい女性。般若心経の下りはエピソード的で、どこにも仏教めいた教訓は登場しないのだが、本書のエピソード全体が大乗仏教の教えとオーバーラップしていると思った。
2014年1月3日に日本でレビュー済み
「お母さまが大好きだから、私、お母さまのところに生まれてきたのよ。」 お母さんの泰子さんが「もう翔子なんか嫌いだ!」とうっかり言ったあと、涙を溜め片言で懸命に叫んだ、翔子さんの悟りの言葉に私は驚いた。
いつもビリで勝ち負けを知らない翔子さんは、徒競走で前を走る友だちが転んでも駆け寄ってビリになり、テニスゲームでも友だちが可哀想だからと相手が打ちやすい球しか返さない。 冬の後に春が来ることを知らない翔子さは、ムードメーカーとして喧嘩している場の空気を和らげたり、ダウン症の子を歩かせたりなど病んでいる人を瞬時に見分けて駆け寄って治せる不思議な力を備えているという。
願うだけで希望がいつの間にか叶っている翔子さんのことを「無心が大きなエネルギーを放ち、魂の純度が高いから願いや祈りのパワーが強く、真っ直ぐに天に届くのでは」と泰子さんはいう。
敗血症で仮死状態で生まれた翔子さんを、ゆりかごの中にいるうちに始末しなければと、衰弱死を願ったり何度も殺めようとした泰子さん。 「知能がなくて、歩けないから、交換輸血をしてまで助けるのはいかがなものか」と言った主治医に対し、 「主よ、私はあなたの挑戦を受け入れます」と言って妻の泰子さんを支えながらも、まもなく急死された翔子さんのお父さん。
翔子さんが毎晩お祈りやお話をしている天国のお父さんは、席上揮毫(せきじょうきごう)の時には冬でも、小さな羽虫になって翔子さんのところにやって来るらしい。 それはまるで天使と妖精の様に、翔子さんとお父様はいつも一緒だから、おそらくお互いさみしく感じないのだろう。
翔子さんのダイナミックで繊細な生き様からは、知能がいくら発達していても知性が乏しい我々こそ、逆に染色体が多過ぎて競い合い、生き急ぎすぎているのではないかと感じてしまう。 ダウン症は障害ではなく、「知的でないものは美ではない」を信条としていた母康子さんへ送られた、千分の一の天恵ではないだろうか。
いつもビリで勝ち負けを知らない翔子さんは、徒競走で前を走る友だちが転んでも駆け寄ってビリになり、テニスゲームでも友だちが可哀想だからと相手が打ちやすい球しか返さない。 冬の後に春が来ることを知らない翔子さは、ムードメーカーとして喧嘩している場の空気を和らげたり、ダウン症の子を歩かせたりなど病んでいる人を瞬時に見分けて駆け寄って治せる不思議な力を備えているという。
願うだけで希望がいつの間にか叶っている翔子さんのことを「無心が大きなエネルギーを放ち、魂の純度が高いから願いや祈りのパワーが強く、真っ直ぐに天に届くのでは」と泰子さんはいう。
敗血症で仮死状態で生まれた翔子さんを、ゆりかごの中にいるうちに始末しなければと、衰弱死を願ったり何度も殺めようとした泰子さん。 「知能がなくて、歩けないから、交換輸血をしてまで助けるのはいかがなものか」と言った主治医に対し、 「主よ、私はあなたの挑戦を受け入れます」と言って妻の泰子さんを支えながらも、まもなく急死された翔子さんのお父さん。
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2013年12月1日に日本でレビュー済み
勤務先の横で金澤という方の小さな個展をやっていた。雄渾な筆に感銘を受けた。そんなことで本書を読む機会を得た。
本書で紹介される金澤のエピソードで一番印象に残ったのは建長寺でのくだりである。建長寺にて席上揮毫の打ち合わせの
際に金澤は机の突っ伏して寝てしまったという。慌てて起こそうとした母親を建長寺の管長は止めた。そうして「これが我々の求めている禅の行きつく境地なのです」と言ったという。
「禅」という言葉をたよりにして金澤翔子という方の人生とその書を見直してみると、腑に落ちる部分が多いことに
気づいた。金澤はダウン症という大きなハンディを抱えた。そのハンディのお蔭で得られないものが非常に多いことも想像
につく。但し、そのお蔭で得たものの大きさもうっすらと見えてくる。
「そのお蔭で得たもの」と僕は今言った。
健常者であり、自分の子供も健常者である僕が「そのお蔭で」と言う事はとても無責任だ。但し、それ以上に金澤という方
が得た稀有とも言える「大きなもの」が存在する。それが本書を読む感動だ。
その「大きなもの」とは何か。言葉にはしにくいが「純粋な宗教」とでも言いようがない。教条も決まりも無い、純粋な「祈り」だけで出来ている宗教のように見える。その余りの純粋さに、建長寺の管長程の方ですら、いささか恐れ入った
ということではないだろうか。
本書の写真で紹介される金澤の書は見ていて楽しい。書いた方がハンディを抱えているかどうかとは無関係に美しい。
但し、その「美」の根源は、やはり金澤という方がハンディを通して獲得した「祈り」にあるのではないか。それが
最後の読後感であった。
本書で紹介される金澤のエピソードで一番印象に残ったのは建長寺でのくだりである。建長寺にて席上揮毫の打ち合わせの
際に金澤は机の突っ伏して寝てしまったという。慌てて起こそうとした母親を建長寺の管長は止めた。そうして「これが我々の求めている禅の行きつく境地なのです」と言ったという。
「禅」という言葉をたよりにして金澤翔子という方の人生とその書を見直してみると、腑に落ちる部分が多いことに
気づいた。金澤はダウン症という大きなハンディを抱えた。そのハンディのお蔭で得られないものが非常に多いことも想像
につく。但し、そのお蔭で得たものの大きさもうっすらと見えてくる。
「そのお蔭で得たもの」と僕は今言った。
健常者であり、自分の子供も健常者である僕が「そのお蔭で」と言う事はとても無責任だ。但し、それ以上に金澤という方
が得た稀有とも言える「大きなもの」が存在する。それが本書を読む感動だ。
その「大きなもの」とは何か。言葉にはしにくいが「純粋な宗教」とでも言いようがない。教条も決まりも無い、純粋な「祈り」だけで出来ている宗教のように見える。その余りの純粋さに、建長寺の管長程の方ですら、いささか恐れ入った
ということではないだろうか。
本書の写真で紹介される金澤の書は見ていて楽しい。書いた方がハンディを抱えているかどうかとは無関係に美しい。
但し、その「美」の根源は、やはり金澤という方がハンディを通して獲得した「祈り」にあるのではないか。それが
最後の読後感であった。
2013年12月1日に日本でレビュー済み
ダウン症児の成長にまつわる苦悩と喜びをその母が綴った本である。しかしダウン症のことに止まらず価値ある事柄と理解がいっぱい詰まっていて、読者は自分の興味に応じてここから各種の方向に考えを進められるという大変豊かな本としてどなたにもお薦めしたい。
私の感想を約めれば、「社会は障害も含めてそれぞれ違う特徴のあるメンバーから成ってこそ安定し、発展の可能性が開ける。一つの物差し(合理的とか経済的とか)で単色になってしまうことなく、多様な色合いと喜びと可能性を保持していくには「異色な、個性的な存在」としての常ならぬ人が必要であり、尊重されなければならない。」となる。
今、立派な書家になった娘のことで自信が持てたからなのだろうが、第1章「0歳から3歳」で母:金澤泰子さんは、ダウン症の翔子さんを授かった苦悩と迷った道筋を実にあからさまに書き下している。筆舌に尽くしがたい思いをされたであろうことは想像に難くないが、さらりと書いておられる中に、苦悩を乗り越えられた鍵の一つが夫の信仰、信念であったこと、付け焼刃の御利益宗教や祈祷の類ではなかったことなどがあるのは興味深い。また、無駄に苦しめたのが医師の口から出た「知能が無いし歩けない」といった正しくない説明だったことにも考えさせられるし、「医師になったダウン症者がいる」という真偽不明の話が母の希望になったという話は重い。
子供が外に出る頃(第2章「4歳から10歳」)には、建前だけの人、おおらかに受け入れてくれる人、本音で大切に思ってくれる人、能力が無くて指導を拒否する人、余裕で指導しながら翔子さんの良いところを理解してくれる人、社会の中のいろいろな人に出会う。でも、拒絶されたことが自分たちで道を見つけることにつながったり、生きることは一筋道ではないのが不思議。
社会が成熟してきた歴史の中で一つの尺度が固まっているが、実は人にとって異なる尺度も有るのであり、幸不幸は簡単には決まらないとは、味わうべき言葉だ。
第3章「14歳から27歳」においても、「翔子の書の運命の分岐点には、いつも悲嘆があった」。自分の家の、あるいは社会の側の勝手な都合や仕組みで、人生がまっすぐ進まないと思えた時、なぜか「書」を軸に未来を変えていくことになる。翔子さん20歳での最初で最後になると思いながら開いた個展が、評判を呼び、縁が繋がり、個展や席上揮毫を重ねる「書家 翔子」への道が示される。
著者が「立派な書家かつ優しい娘に育ったダウン症者がいる」と説くことは、確かに同じことで苦しんでいる親子に力になるだろう。加えて、翔子さんの振る舞いとそれに対する著者の理解は、「ダウン症者だって、なんとか社会の中で生きていける」というところを大きく越えて、「普通の人にはできない、ダウン症者だからこそ周りの人々に伝えることができる価値、輝き、幸せ、悟りがある」と確信させるものである。
また、著者の「生きていさえすれば絶望は無い。幸福と不幸は同じ」という言葉は、翔子さんが書かれる般若心経の空の教えそのものではないか?
第4章「現在」には可愛らしいエピソードがたくさん紹介されている。「知的障害ゆえに純度の高い魂」と書いておられる通り、意味のない事柄に対する理解力など無い翔子さんの方が、そんな事どもの後ろに隠された真実に対する根源的把握・共感の力が強い。それが、多くの人々の心を掴んでいるし、書にも表れているのだろう。
歩けなかった子が翔子さんの囁きで歩き出したという「奇跡」についての泰子さんの「願う愛とその愛を素直に信じる心が奇跡的なことを生む」という理解は貴重だ。
「ダウン症の特徴をマイナスとだけ捉えるのはおかしい。その優しい魂はかけがえのない個性であり、プラスの才能だ。」とか「翔子さんが悟りの世界に一番近い」というのは真実だろう。「奪われし者が実はgiftedであった。」と言うのは昔話にも多いのだから。
私の感想を約めれば、「社会は障害も含めてそれぞれ違う特徴のあるメンバーから成ってこそ安定し、発展の可能性が開ける。一つの物差し(合理的とか経済的とか)で単色になってしまうことなく、多様な色合いと喜びと可能性を保持していくには「異色な、個性的な存在」としての常ならぬ人が必要であり、尊重されなければならない。」となる。
今、立派な書家になった娘のことで自信が持てたからなのだろうが、第1章「0歳から3歳」で母:金澤泰子さんは、ダウン症の翔子さんを授かった苦悩と迷った道筋を実にあからさまに書き下している。筆舌に尽くしがたい思いをされたであろうことは想像に難くないが、さらりと書いておられる中に、苦悩を乗り越えられた鍵の一つが夫の信仰、信念であったこと、付け焼刃の御利益宗教や祈祷の類ではなかったことなどがあるのは興味深い。また、無駄に苦しめたのが医師の口から出た「知能が無いし歩けない」といった正しくない説明だったことにも考えさせられるし、「医師になったダウン症者がいる」という真偽不明の話が母の希望になったという話は重い。
子供が外に出る頃(第2章「4歳から10歳」)には、建前だけの人、おおらかに受け入れてくれる人、本音で大切に思ってくれる人、能力が無くて指導を拒否する人、余裕で指導しながら翔子さんの良いところを理解してくれる人、社会の中のいろいろな人に出会う。でも、拒絶されたことが自分たちで道を見つけることにつながったり、生きることは一筋道ではないのが不思議。
社会が成熟してきた歴史の中で一つの尺度が固まっているが、実は人にとって異なる尺度も有るのであり、幸不幸は簡単には決まらないとは、味わうべき言葉だ。
第3章「14歳から27歳」においても、「翔子の書の運命の分岐点には、いつも悲嘆があった」。自分の家の、あるいは社会の側の勝手な都合や仕組みで、人生がまっすぐ進まないと思えた時、なぜか「書」を軸に未来を変えていくことになる。翔子さん20歳での最初で最後になると思いながら開いた個展が、評判を呼び、縁が繋がり、個展や席上揮毫を重ねる「書家 翔子」への道が示される。
著者が「立派な書家かつ優しい娘に育ったダウン症者がいる」と説くことは、確かに同じことで苦しんでいる親子に力になるだろう。加えて、翔子さんの振る舞いとそれに対する著者の理解は、「ダウン症者だって、なんとか社会の中で生きていける」というところを大きく越えて、「普通の人にはできない、ダウン症者だからこそ周りの人々に伝えることができる価値、輝き、幸せ、悟りがある」と確信させるものである。
また、著者の「生きていさえすれば絶望は無い。幸福と不幸は同じ」という言葉は、翔子さんが書かれる般若心経の空の教えそのものではないか?
第4章「現在」には可愛らしいエピソードがたくさん紹介されている。「知的障害ゆえに純度の高い魂」と書いておられる通り、意味のない事柄に対する理解力など無い翔子さんの方が、そんな事どもの後ろに隠された真実に対する根源的把握・共感の力が強い。それが、多くの人々の心を掴んでいるし、書にも表れているのだろう。
歩けなかった子が翔子さんの囁きで歩き出したという「奇跡」についての泰子さんの「願う愛とその愛を素直に信じる心が奇跡的なことを生む」という理解は貴重だ。
「ダウン症の特徴をマイナスとだけ捉えるのはおかしい。その優しい魂はかけがえのない個性であり、プラスの才能だ。」とか「翔子さんが悟りの世界に一番近い」というのは真実だろう。「奪われし者が実はgiftedであった。」と言うのは昔話にも多いのだから。